妖精譚

基本気まぐれ不定期でラノベなどの名言pickや解説、感想を投稿します

ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか 10巻 【重要文&名言集】

 

 目次

 

幕間(迷執手記)

 男は聡明であり、至妙であり、そして偉大な工匠であった。

 彼はありとあらゆる工芸品や建造物を作り上げることができた。文化や文明にさえ貢献する彼の技は神々の称賛をほしいままにし、白亜の巨塔をもその手で完成させた。優美にして荘厳、あらゆる建造物より天に迫るその塔は神々に相応しいものとして後に   【神の塔】と名付けられることになる。

 まさしく男は絶世の天才であった。過去と未来にかけて、他の追随を許さぬほどの。

 あらゆる発明など、彼には造作もないことだった。

 自分に作れぬものはない。

 男は己が世界一であると疑っていなかった。

 だが__その男は世界の最果で魅せられてしまった。

 大陸の片隅で口を開ける『大穴』。

 己の足もとに広がっていた、地上とは異なるもう一つの世界。

 不可思議な燐光に満たされ、見たことのない草花や鉱石を有し、錯綜する迷路を描く。何層にも分かれた階層は新たな領域へ進む度にその景観をがらりと様変わりさせた。無限の怪物を産み出す魔窟であり、深淵へと続こうかという地下迷宮。

 地上から切り離された壮大な閉鎖空間は、彼の目には『作品』として映った。

 人の与り知らない巨大な意志が作り上げた超自然的な創造物。男は気付けばその秘奥を知るために体を鍛え、『器』を昇華させ、迷宮の奥へ奥へともぐっていた。

 そして知れば知るほど思い知らされた。

 人智では計り知ることのできない複雑怪奇な構造を。造形を。

『ダンジョン』の神秘を。

 男は壊れた。

 打ちのめされたのだ。

 言うなれば神羅万象が内包されたかのような、混沌を極めた『美』に。

 壊れた男の喉から迸った絶叫は、まさしく人を止めた『怪物』の産声のそれであった。

そこから男は執念に取り付かれた。

 与えられた使命をこなしていく傍ら、着実に常軌を逸していき、誤った道を進み始める。常人には理解できない作品の数々を作り上げ、かつての天才はいつしか『奇人』と称され嘲られるようになる。やがて、ある日を境に男は歴史から姿を完全に消した。

 己の技術の粋を持ってして、何ものにも代え難い妄念の力をもってして、彼の地下迷宮を上回るもう一つの『世界』を創造せんとしたのだ。

__人の手にあまる領分であろうが、知ったことか。

__必ずやそれを超克して見せる。

__神ですら至らぬ領域であるというのなら、まずは神をも超えてやろう。

 皮が破れ、肉を剥き出しにし、血がいくら流れようとも、杭と鎚を握るその両手は止まることはなかった。誰に知られることもないまま、男は妄執の道をひた走った。

 だが、彼の野望は志半ばで潰えることになる。

 寿命という人間の限界だった。

 男は人である己の身を憎み、動かなくなっていく手足に絶望を覚え、燃えつきようとする命の期限に慟哭した。そして__苦肉の策として、呪いの遺言をある手記に残した。

 彼が思い描いた、『設計図』とともに。

 相伝する血という名の系譜に、己の名を冠する後世の者達に、男は全てを委ねたのだ。

『作れ、作るのだ!

 あれに勝る創造物を、我が願望を!!

 使命を遂げるのだ!!名も顔も知らぬ末裔等よ!

 ひと度この手記に目を通したならば、血の呪縛からは逃れられない!

 狂おしい飢えと乾きは癒せまい!臓腑を焼き焦がす衝動の言いなりとなれ!!

 欲望を貫くのだ!

 血の訴えに従順であれ、

 渇望に忠純であれ!

 大望を、大望を、大望を!

 呪われし我等の宿願を果たすのだ!!』

 

 

 

 6章(嵐の前の)

「それで、あの、今日はダンジョンに行って、すぐ帰ってくるつもりなので、お昼ご飯は・・・その、ごめんなさい」

 受け取ったバスケットを返さなくてはならない。また情けない顔でいるところをこの人に心配させてしまうかもしれない。そう思った僕は咄嗟に今日の昼食を断っていた。

 下手くそな笑を作って、後ろめたさ一杯で謝っていると・・・こちらをじーっと見つめていたシルさんは、1歩、僕の懐に近寄ってくる。

「えっ」  

「ベルさんは、元気になーる、元気になぁーるー」

「・・・」 

「ベルさんは、笑顔になぁーるー」

「・・・あの、シルさん?」

「えいっ」

「あたっ」

止めとばかりに鼻をつんっと押され、声が漏れる。

「元気が出る、おまじないです。・・・孤児院の子供達にも、やってあげるんですよ?」

驚いていた僕はそれを聞いて・・・本当に、力の抜けた笑みが顔から出てきた。

 多分、しばらく浮かべることを忘れていた、自然な笑顔。

 目の前で嬉しそうに笑うこの人に、僕は確かに、元気をもらった気がした。

 

 

 

「お前はどうするつもりだ、ヘスティア?」

「・・・ボクが一番大切なのは、ベル君達だ」

 ベル達を守る。ベル達とともにいる。それはヘスティアの偽らざる意志だ。

 そして、その上で__。

 「__ベル君達が何かを決めたのなら、ボクはそれを応援するし、支えるよ。『異端児』君達を助けたいって言うのなら、力を貸すさ」

「ふむ・・・」

「主神の命令なんかで、行動を押さえ付けたりはしない」

 女神(ヘスティア)は少年(ベル)の背中に『恩恵』を刻み付けた時から変わらない想い__己の神意を打ち明けた。

「これは、あの子達の物語(みち)だ」 

 彼等の決断に委ね、助け、見守っていきたい。

「・・・不安じゃないって言えば、嘘になるけどさ」

 仮面の奥からじっと凝視してくるガネーシャから視線を外し、ぽつり、と正直な気持ちも語る。

「・・・ガネーシャは、どう思う?どうなると思う?」

「ぶっちゃけ、わからん」 

「だよねぇ・・・」 

「だだ」

「?」 

「本当に異端児達が、いや怪物(モンスター)達が闘争を望まず、共存を願っているというのなら__」 

「俺場   【群衆の主(ガネーシャ)】を止めて__   【群衆と怪物の主(ネオ・ガネーシャ)】になろう!!」 

「・・・初めて、ガネーシャがカッコいいと思ったよ」 

「俺は、ガネーシャだからな!」

 

 

 

7章(サンゲキの王者)

蜘蛛の糸・・・道標(アリアドネ)ってか?させねえよ」 

 嘲りの笑みを見せる眼装の男に、ラーニェは眉を逆立てながら体を震わせた。

 この男は聡い。奸智に長けている。

 仲間からも恐れられる本性は残虐そのものでありながら、常に冷静な視野を広げ、慎重と保険を忘れない。地上のフェルズ達と『異端児』が今日まで狩猟者(ハンター)達の正体や住居(アジト)を掴むことができなかったのも、この男がいたからだとラーニェは悟った。

 

 

 

「・・・・じ、自分でくたばりやがった」

「ほぉー・・・格好いいじゃねえか。あぁ好きだぜ、そういうの」  

「そうなんだよなぁ〜。自分を好きにしていいのは自分だけだ、指図も何も受けねぇ。気が合うじゃねえかよ」

 

 

 

「アイズさんは・・・」

「怪物(モンスター)に、なにか生きる理由があったとしたら・・・僕達と変わらない感情を持っているとしたら、どうしますか?」

 言ってしまった。

 人と同じように笑顔を浮かべ、人と同じように悩みを抱え、人と同じように涙を流す『怪物』と出会ったら__それでも貴方は剣を振るえますか、と。

  憧憬の剣士に、問いかけてしまった。

「・・・」

 要領を得ない筈の質問にもかかわらず、安易に答えるでも、疑問に思うでもなく、真摯に受け止めて僕に返す自分の答えを探している。

「私は、怪物(モンスター)が危害を加えてくるなら・・・ううん」

「怪物(モンスター)のせいで誰かが泣くのなら__私は怪物(モンスター)を、殺す」

 

 

 

8章(動乱都市)

「フェルズ__ベル・クラネルを強制任務(ミッション)に組み込め」

「・・・ウラノス、それは」

「ここで見極める。あの少年を・・・『異端児』達の手を取ったという、たった1人の冒険者を」

「状況に流されるだけの子供か、神に踊らされる人形か、あるいは・・・」 

「わかった・・・貴方の神意に従おう」

 

 

 

「しかし、ベル君を巻き込むときたか・・・やってくれたな、ウラノス

普段飄々としている優男の神にとって、極めて珍しい表情であった。

「・・・意外です。試練だと何だと喜んで、進んでベル・クラネルをけしかけると思っていました」

「オレは今回の件に関しては、ベル君に関わってもらいたくないと思っている」 

「艱難汝を玉にす・・・だったかな?タケミカヅチが言っていたのは」

「・・・」

「苦難を乗り越えてこそ英雄というのは、その通りではあるんだが・・・今回の騒動は、オレが思い描く道程とは大きく異なる」

 己の神意にそぐわない、と告げるヘルメスは。

 次は危ぶむかのように、声を打った。

「一歩間違えれば破滅だぜ」 

 

 

「最初からわかっちゃいたけど、アレに店の従業員は無理だね。料理はできない、愛想もない、何より身内に甘過ぎる。正義感なんて面倒なものも持ってるから、同じ場所にじっとしてられない質だよ」

 最近ようやくマシになってきたと思ったら、とぼやくミアは、次にじろっとシルを見やった。

「リューに言っておきな。行きたい場所があるんだったら、さっさとこの店から出ていきなってね。中途半端に居座られてもいい迷惑さ」

「・・・わかりました。伝えておきます」

「それで・・・今度もまた、見逃してもらっていいですか?」

「どうせ今日はもう、碌に客は来ないだろうね。することもない」

「はい」

「で、あの坊主もすっかりウチのお得意になった・・・馴染みの客がいなくなるってことは、美味い飯を食わせてやるヤツがまた1人になくなるってことさ」

「それじゃあ?」

「目を瞑ってやるよ」

 

 

 9章(獣の夢)

「貴方はずっと元気がなかった。シルが心配している・・・私も」

「・・・」

「貴方が何を思ってモンスターを追いかけようとしているのかはわからない。ですが、私は・・・件の派閥に貴方を関わらせたくない」

 抑えきれない激情をその瞳に宿しながらも、何かを危ぶむように、何かを恐れるように、リューは右手を差し出す。

 この同じ階層で、手を握り合ったいつの日かと同じように。

「地上に、帰りませんか?」

 リューと視線を絡め合う。

  引き止めようとする彼女の手を前に、ベルは、一歩後ろに下がった。

「そうですか・・・」

 二度目の沈黙による答えと、揺るがない意志に、リューは目を伏せる。

 彼女の優しさを無碍にする罪悪感にベルが耐えていると、不意に凄まじい高周波が戦場の方角から鳴り響いてきた。

「貴方は、すっかり『冒険者』になってしまった」

「リューさん・・・」

「止めても無駄なのでしょう。行きなさい」

 そう言って、リューは腰に巻いていた小鞄(ポーチ)を差し出す。

 高等回復薬(ハイ・ポーション)を始めとした道具の詰め合わせだ。

「ただし、私もすぐに追わせてもらいます」

 討伐隊の危機を払拭した後に、と。

 そのように続ける彼女を、ベルも拒むことはできなかった。

 差し出されている彼女の想いを受け取る。

「ありがとうございます。リューさん・・・ごめんなさい」

 

 

 

__強い。

 能力(ステイタス)が下がろうが、ディックスの『技』と『駆け引き』は消えない。

 当然だ。彼の戦闘技術は、培ってきた経験は本物なのだから。

 たとえベルの能力(ステイタス)が、速さという最大の武器が伯仲に迫ろうとも、場数という名の『経験値』はかけ離れている。狩猟者(ハンター)ディックス・ペルディクスは、強力な『呪詛(カース)』がなくとも、掛け値なしに強い。

 

 

 

「【リトル・ルーキー】。どうしてダイダロスの系譜が、イカれた先祖の遺言なんぞに従ってきたか・・・千年も人造迷宮(クノッソス)に付き合ってきたか、わかるか?」

「血が、そうさせるんだ」

「え・・・?」

「血がよぉ、言ってくるんだよ」

 眼装(ゴーグル)の上から、その赤い瞳をあらん限りの力で押さえつけながら。

 熱の帯びた声で、男は言い放つ。

「ざわつきやがるんだッ、この馬鹿みてえな迷宮を完成させろってなぁ!!」

「っ___」

「居ても立ってもいられねえ!!ダイダロスの血が駆り立てやがる!」

「このゴミみてえな薄汚え場所で生まれた時からそうだ!人造迷宮(クノッソス)が、『手記』に書かれた『設計図』が、俺達を引きずり込んでドロドロに溶かしやがる!!誰も逃れられねえ、この血の呪縛からは!!」

 ディックスは、笑っていた。

 笑いながら、激憤と怨嗟に満ち溢れていた。

 見せつけられる激情の奔流に、ベルはおののいてしまう。

__血の呪縛。

「ふざけてんだろう、なァ!?俺に命令していいのは__俺だけだろうが!?」

 憶測と可能性の間で当惑するベルは一つだけ、わかったことがあった。

 目の前の男、ディックス・ペルディクスは。

 彼の言う血の呪縛に抗おうとするほど、凄まじい『我意』を秘めている。

「・・・俺はこんな迷宮なくなっちまえと思ってる。嘘じゃねえ」

「俺は世界中の何よりも、この迷宮が憎い」

 だが壊せねえ。

 血が止めるんだ。ダイダロスの『呪い』が。

「一時期、ダンジョンに八つ当たりした時期があったぜ。始祖(ダイダロス)も、系譜(おれたち)もおかしくさせたあの地下迷宮が憎くてな。モンスターどもを殺して、殺して、殺して、殺しまくった」

「・・・!」

「だが、当然満たされねえ」

「どうすれば俺は満たされるのか・・・迷宮を作りながらずっと考えていた、その時だったなぁ、喋る化け物どもを見つけて、狩りを始めたのは。確か・・・あぁそうだ、威張り散らしていたゼウスやヘラの連中が消えた後だ」

「普通のモンスターとは違う。泣きやがる、命乞いをしやがる。ダイダロスを狂わせたダンジョンから産まれた、化物どもが、だ。・・・ははっ、堪らねえ」

「___」

「__俺は見つけたぜ、『呪い』に代わる『欲望』を!!」

「あの化物どもを辱しめ、泣かせて、絶望させて、ゴミクズみたいに扱ったところで、俺は初めて満たされる!!血の飢えを鎮めることができる!!」

「なっ・・・!?」

「ご先祖様の言葉通り、俺は求めることに純粋になった!」

「快感だぜぇ~!血に勝るってことはよぉ!?それは自分を超えるってことだ!!酒でも薬でも満たされねえ__最高の快楽だ!!」

 その男の逸した狂気を目の当りにして、ベルは理解してしまう。

 つまり、ディックスが『異端児』達に犯していることは既に過程に過ぎず。

 その本当の目的は、己の欲求とその獰猛な加虐性うぃ充足させることにある。

 血の呪いさえ一蹴する、凶暴な『欲望』を。

 彼は自分の求めを__何よりも代え難き嗜虐心という名の『我意』を満たすために、行動しているのだ。

 鍛冶貴族の血と今も戦っているヴェルフとは違う。彼と比べるのもおこがましい。

 ディックスは血に抗うことを止め__それ以上の『欲望』を解き放ち、怪物以下の『獣』に成り下がったのだ。

「そんなことのために・・・!」

「そんなこと?」

「取り消せよ、ガキ」

「わからねえだろう、逆らえねえ血の衝動ってものが」

「目玉の奥が焼き切れちまうほど、自分じゃどうにもならねえ『呪い』ってやつがなぁ!!」

 

 このモンスターが行っていることは人類に対する『殺戮』ではなく、『闘争』。

 そんな考えが過ぎる。そしてその違いが何を戦闘にもたらすのか、リューは身をもって知っていた。殺戮者と戦士の違いは留まることの知らない高みへの渇望、そして勝利への執念である。

 

 

 

「どうせ、成り行きでここにいるんだろう!正直になっちまえ!」

 そうだ、成り行きだ。

 異形の少女を見つけて、   【ファミリア】を巻き込んで、巻き込まれて。

 全部全部、成り行きだ。

 もしかしたら、自分で決めたことは、何もなかったのかもしれない。

 状況に流されるままで、何一つ決断していなかったのかもしれない。

 だから、これは代償だ。

 今が、支払う時だ。

 答えを出す__その時だ。

 

 

 

「化物を助ける義理が__どこにある!!」

「なっ__」

「誰かを救うことに、人も『怪物』も関係ない!!」

「助けを求めてる!!」

「十分だ!!」

 ほかの誰でもない、誰の言葉でも意志でもない。

ベル・クラネル、君は・・・」

 その少年の咆哮に、フェルズは静かに呟いた。

 同時に、暴れ回る『異端児』達にも変化があった。

 あるモンスターは肩を揺らし、あるモンスターは何度も胸を上下させ。

 ある石竜(ガーゴイル)はその石の瞳を大きく開き。

 ある蜥蜴人(リザードマン)は、その雄黄の眼から水の粒を落とした。

「__お前、偽善者だな!!」

「ならお前は人も怪物(モンスター)も救うってのか!?誰も彼も助けるってか!?」

「っ・・・!!」

「無理だろォそりゃあッ!?ガキでもわかるぜ!」

ベル・クラネル、てめーは兎なんかじゃねえ!てめーは、蝙蝠だ!!」

「っ!?」

「うっ・・・!?」

「あぁ、つまらねえ・・・要は、頭の足りねえただのガキだったか」

「もういい。くたばれ」

「ありがとう__」

「___ベルっち」

「なっ__ぐぉ!?」

「て、てめえっ!?」

「ちくしょえ、嬉しいなぁ、嬉しいぜ・・・訳のわかんねえ力なんて吹き飛んじまうくらい!」

「人間の言葉っていうのはっ・・・こんなにっ、体を熱くさせてれるんだな・・・!」

「ごめんな、ベルっち・・・ありがとう」

 

 

ベルは、こちらを見下ろすアイズと視線を交わしていた。

 憧憬の少女はベルだけを見つめている。

 その金色の瞳は、問いかけている。

 どうしてそこにいるの?と。

(ぅ、ぁ__)

 途端、ディックスの言葉が脳裏に蘇る。

 蝙蝠__偽善者。

 愚かな選択をしたベルを男はあざ笑ってくる。

 耳の中に残響するその哄笑は、問いかけてくる。

 お前はこれからどうするんだ?と。

『アアアアアアアァ・・・!?』

 聞こえてくる竜女の悲鳴。

 深く食い込んだ長槍によって拘束される竜の少女。

 ベルの思考が混濁する。視界が激しく明滅する。

 己が立つ場所は真の境界線。前と後ろ。前進か後退か。

 憧憬と怪物、仲間と天秤、英雄と罪人、祖父と少女、謝罪と懺悔、約束と裏切り、本物と偽物、岐路と選択、決断を決断を決断を。

 

 

胸に灯る想い、少女と笑顔と涙。

 差し伸べた手は、差し伸べた温もりは、彼女を守ると決めたあの誓いは__。

 あらゆる想いが渾然となり、ベルの胸の中をかき回す。

 永遠に凝縮された、一瞬の中で。

 ベルは。

 ベルは。

 ベルは__。

「儂の目の錯覚か、あれは?」

「フィン・・・」

「・・・何のつもりかな?」

「・・・・ッッ!!」

ベルは、相対していた。

 悶え苦しむ『怪物』に背を向けて、それを討伐せんとする人間達と。

 まるでモンスターを庇い、冒険者達から守ろうとするかのように。

 顔からいくつもの汗を滴り落とし、呼吸を震わせ、蒼白になりながら。

 逆手に漆黒のナイフを構え、アイズ達の前に立ちはだかっていた。

 (馬鹿っっ・・・!?)

 

 

 リリ、ヴェルフ、命、春姫が声を失う中。

 ヘスティアは、あらん限りに目を見開く。

 「・・・!!」

 石竜(ガーゴイル)のグロスもまた、その光景に石の双眸を見張る。

「何やってるんだよ、ベルっち・・・」

 人目から隠れ、付近の路地裏に駆け付けてきたリドと『異端児』達は、広がっていた光景に立ちつくす。彼等と合流していたフェルズも愕然としていた。

「__ひっ、ひひっ!?いひひひひひひひひひっ・・・!?」

 そして、イケロスは。

「見ろよぉ、ヘルメスゥ!?傑作だぁ!」

「今は生意気なガキばかりになっちまったと思ったが・・・まだ、あんな馬鹿な眷族もいたんだなぁ」

「君は、本当に愚かだな・・・」

 民衆、冒険者、モンスター、神々の視線の先。

 少年はただ一人、破滅の中へ身を投じる。

 『怪物』の少女を救うため、ベルは   【ロキ・ファミリア】と対峙した。

 

 10章(愚者)

 雄叫びが轟いた。

「____」

 アイズ、フィン、リヴェリア、ティオナ、ティオネ、ベート、そしてガレス。この戦闘域にいる全ての第一級冒険者がそれぞれの行動を中止し、同じ方向を見やった。

 「今、のは・・・?」

 住民達の喧騒は、ぴたりと止まっていた。

 交戦中の   【ロキ・ファミリア】の団員達も静止する他方、非戦闘員のハルヒでさえ立ち尽くし、まるで本能そのものが怯えるかのように獣の尾が絶えず微動している。女神であるヘスティアも、その瞳を見張っていた。

 やがて・・・どんっ・・・どんっ・・・と。

 自己の存在を主張するように、地を揺らし、不穏な重音が響き渡ってくる。

 確かめずともわかる何かの足音。徐々に近づいてくる音響が聞こえてくるのは、竜女が現れる際に破壊した壁面跡、その先からだ。

 煙の奥に浮かんだ影は、瓦礫を踏み砕く音を放ち、とうとうその姿を現した。

「___なっ」

 呟きを漏らしたのは、冒険者のー人だった。

 迷宮の闇の奥から生まれたかのような漆黒の体皮。ニMを上回る巨躯は岩のような筋肉で覆われており、更にその上に纏うのは冒険者の鎧だ。

 はち切れんばかりの胸鎧、肩当て、手甲、腰具、脚装。

 その巨体が収まり切らない全身型鎧(フルプレートの部位を、軽装のごとく身に付けている。片手に提げるのは巨大な両刃斧(ラビュリス)であり、更に鎧の背にも異なった大斧を取り付けていた。どちらの斧も返り血によって真っ赤に汚れている。

 頭部から生える双角の色は紅。

 その威容から連想される単語は、猛牛。

 ギルドの資料に乗ってもいなければ、あの   【ロキ・ファミリア】でさえ遭遇したことのない『未知』の『怪物』がそこにはいた。

 常に泰然としていたフィンが組んでいた腕を解き、顔の色を変え身を乗り出す。

 彼の親指は、引きつるように痙攣していた。

『__』

フッ、フッ、と荒い鼻息を吐き出す『怪物』は、ぐるりとその太い首を巡らせる。

 倒れる異端児達、そして冒険者の姿を視界に捉えた瞬間。

 雄叫びを放った。

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!』

 静寂をぶち破る、弩級の咆哮。  

 砂塵を舞い上げるほどの音塊が響き渡った直後『ダイダロス通り』の住民達は白目を剥き、一斉にばたばたと倒れ込んだ。

 尋常ではない『咆哮(ハウル)』  

 生物の心身を原始的恐怖で縛り上げる怪物の恐嚇(うた)

 己と戦う資格のない者を行動不能に__強制停止に追い込む雄叫びだ。

 

 

 

 お互いに一歩も引かない冒険者達と『怪物』の激戦を周囲で見せつけられる   【ロキ・ファミリア】の団員達は、それを見てしまった。

「わ、笑ってやがる・・・」 

 『怪物』の猛々しい笑みを。

 頬を裂き、白き巨歯を剥いて、確かに笑っている猛牛の歓喜を。

 第一級冒険者三人を同時に相手取り、攻撃を食らいながら、それでも凄まじき『闘争』に身を震わせている。

 黒き猛牛は昂りをぶちまけるように咆哮を放った。

(なんかさぁ、これって・・・!)

 肌をびりびりと震わせる雄叫びを浴びながら、ティオナは大双刃を振るう。

(知ってんぞ、この感覚・・・!!)

こちらの攻撃を歯牙にかけない相手に舌打ちをしながら、ティオネは両刃斧を避ける。

(こいつ、まるで・・・!!)

 小さき『階層主』と交戦している錯覚に襲われながら、べートは金属靴(メタルブーツ)を繰り出す。

 あまりの出鱈目振り。

 そしてどこか記憶と被る、かすかな面影。

 若い冒険者達は、とある男の存在を思い浮かべてしまった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「・・・・・」 

 オッタルは、『バベル』最上階よりその迷宮街の一戦を目にしていた。

「あのミノタウロスに、覚えがあるの?」

「あれは・・・いえ、ですが・・・まさか」

 

 

 

 

 魔法   【エアリエル】

 使用者の全身と武装を強化する、風の付与魔法(エンチャント)。

 (__アイズ・ヴァレンシュタイン

 冒険者以外でただ一柱(ひとり)、『咆哮(ハウル)』に屈することのなかったヘスティアはこの時、少女のその姿に見惚れてしまった。

   【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタイン

 名実ともに都市屈指の冒険者。オラリオ一の女剣士。

 少年の憧憬。

 風を従え、金の長髪を撫でられる、まるで英雄譚の『精霊』のごとき雰囲気を放つ少女は、少年が憧れる存在として確かに相応しいと女神が一瞬認めてしまうほど、美しいものだった。

 

「あれが・・・『戦姫』」

 過去、誰かが言った。

『戦姫』と。

 少女の皮を被った殺戮者(モンスター・スレイヤー)。怪物の屍で作り上げられる無数の頂き。飽きることなく迷宮の奥へもぐり続ける、命知らず。

 夥しい鮮血を舞い上げながら、それでも風の鎧によって一人美しく在り続ける少女の姿に、ヴェルフも、【ロキ・ファミリア】の団員達でさえも、畏怖と恐怖を覚えていた。

 

 

 揺らぐ巨体。崩れる敵の体勢。

 何度目とも知れない傷を刻み込まれ、とうとう隙を晒した猛牛に、アイズが眦を決する。

 『__オオッ!!』

「!?」

 だが、次の敵の行動にアイズは驚愕を表す。

 間に合わない両刃斧での迎撃を捨て、猛牛が振るったのは頭部__雄々しく生えた角だ。

 その紅の角は風を纏ったアイズ渾身の斬撃をはね返してみせる。

 隙を晒し還す格好となった少女に、猛牛は地を陥没させるほどの踏み締めをもって、両刃斧の一撃を炸裂させた。

「ッッ!?」

 風が爆ぜる。

 防御のために構えられた銀剣の気流が、純粋な力によって打ち砕かれた。

 あまりの衝撃に両足で地を削ったアイズは、勢いが止まったところで己の剣を見下ろす。

 風の付与魔法を破壊された剣は、震えていた。

 あまりの衝撃によって痺れているアイズの手が柄を握り締めることができないのだ。感情の乏しい表情の中で目を見張る少女は、正面に向かって顔を上げる。

 血で全身を染めながら、フッ、フッ、と荒い鼻息を漏らす猛牛は、笑った。

 この状況でなお猛々しく、荒々しく、不敵に。

 瞳を見張っていたアイズもまた、その柳眉を吊り上げた。

「【目覚めよ(テンペスト)】」

痺れた片腕の上から【エアリエル】を纏い直すアイズは、風の力で強引に装備を固定する。

 怯まない強者に咆哮を上げる猛牛は、疾走するアイズを迎え撃った。

 再度火蓋が切られた斬り合いに、ヘスティア達が仰け反っていると、

「ぬんっ!」

『グッ!?』

目に見えて拮抗するようになったアイズと『怪物』の戦闘に、横槍が入った。

 重装を纏ったガレスだ。

「アイズ、挟め」

「・・・!ガレス、私は__」

「そんな手で危ない橋を渡らせられるか。我儘はいい加減にしておけ__のう、フィン?」

 そのガレスの声に応えたのは、『怪物』に投じられた一本の長槍だった。

『・・・!?』

「流石にね。まぁ、ガレスが来たなら僕が来る必要もなかったかな」

 モンスターは深手でなお抵抗していたが・・・間もなく、どんっ、と。

『・・・!』 

 ぼろぼろに傷ついた満身創痍の姿で、地に片膝を突いた。

「アステリオス・・・!」

 

 

「・・・夢を、見るの」

「えっ・・・?」

「だれも、わたしをたすけてくれない・・・こわい夢」

 灰の砂をこぼしながら。

 命の時間を失いながら、ウィーネは震える手を持ち上げる。

「でも、ね?」

「こんどは・・・たすけにきてくれたひとが、いたんだよ?」

「うれしい・・・」

 唇を綻ばせながら、たった一つの『夢』に、ささやかな憧憬に抱き締められる。

 異形の少女は、この時、確かに満たされていた。

 呆然とするベルの目の前で、ありがとう、と。

 ウィーネは泣きながら、花のように微笑んだ。

 そして、

「ベル・・・大好き」

 消えた。

 崩れ落ちた。

少女の温もりが、消え去っていく。

「____」

出会い。

怯え。

悲しみ。

戸惑い。

触れ合い。

感謝。

名前。

喜び。

笑顔。

抱擁。

涙。

 胸の中からこぼれ落ちていく灰の中で、美しい紅の宝石だけが、砕けることなく遺された。

 

 

 

ベル・クラネル

「どうしてそんな顔をしているか、聞いてもいいだろうか」

「・・・」

「君のおかげで『異端児』達は救われた。嘘じゃない。あのウィーネも助かった。私も、感謝している」

「僕、は・・・」

「後悔、しているのだろうか?」

 君が決断した選択を、と。

 言葉を先回りされ、そう尋ねられる。

「あの人に・・・眼装(ゴーグル)をつけていたあの冒険者に、言われました」

 ディックスの言葉を、ベルは告げる。

「お前は、『偽善者』だって」

「・・・」

眼装(ゴーグル)の男はベルに向かって断言し、嘲笑っていた。

 ベルが決断した答えはただの綺麗事で、夢物語で、荒唐無稽な絵空事なのだと。

 何も選択できない、ただの『蝙蝠』だと。

__蝙蝠。その言葉は正しい。

 『怪物』を助けながら、人間達の前では排斥されまいと必死に取り繕おうとする。

【ロキ・ファミリア】に向けられた敵意。

 冒険者達を撃った己の魔法。

 全部覚えている。

 少女を救いたいという一念のみで、様々なものを裏切った。

 憧憬と対峙し、仲間のことも一度は放り出し。

『英雄』への想いにも、祖父にも背を向けようとした。決別しようとした。

 その最後に待ち受けていたのは、途方もない無力感。

 フェルズに、『異端児』に、リューを初めとした多くの者達に助けられていなければ、ウィーネをこうして救い出すことはできなかった。

 誰も守れず、誰も救えない、『偽善者』。

ベル・クラネル、これは持論に過ぎないが・・・私は、こう考える」

「『偽善者』と罵られる者こそが、『英雄』になる資格があると」

 「これからも悩み、悶え、迷い、そして今日のように決断してくれ」

 「フェルズ、さん・・・」

「英雄達が下したそれは、時に残酷であり、時に非情であり、時に許されざるものであり・・・そして、何より尊い意志だった」

「彼等と同じようにして出した君の答えは、罵られようと蔑まれようと、きっと間違っていないのだから」

「肉と皮を失った私が言おう。骨と未練しか残らなかったこの私が、あえて言おう」

「愚者であれ、ベル・クラネル

「・・・」

「どうか君だけは、愚者でいてくれ。君の持っているものは、私達にとってはとても愚かで・・・しかし神々からすれば、きっと、かけがえのないものなのだ」

「ベルさんっ、本当ニ、ありがとウ・・・!」

「すまねえ、ベルっち・・・ありがとな!」

「・・・アリガトウ。感謝、シテイル」

「君のように、『異端児』と奇妙な縁を持ち、情をかけるものは多くいた・・・だが君のように、己を顧みず彼等を救ってくれた者は、誰もいなかった」

 ありがとう、と。

 誇らなくてもいい。

 迷い続けてもいい。

 だが、後悔はするな。

 視線の先には、愚かな偽善によって救われた命が、確かにあるのだから。

___黄昏の光が、祖父の声を借りて、そう言ってくれているような気がした。

 

 

エピローグ(選択の代償)

「エイナ、さん・・・」

「利己的な判断で街と、市民を危険に晒した。冒険者にも危害を加えた。__本当なの?」

___違うんです。

 そう言いたかった。

 彼女だけには誤解されたくなかった。

 けれど、ウィーネ達のために言える筈がなかった。

「・・・はい」

 次の瞬間___ぱんっ、と。

 乾いた音と、痛みが頬から生まれる。

 目を見張りながら前を見ると、右手で頬を叩いたエイナは、瞳に涙を溜め__起こっていた。

「信じないよ・・・!」

「信じるわけっ、ないでしょう・・・!」

 泣き出したエイナは、ベルを抱き寄せた。

 嘘を見抜き、隠し事をしていることを怒り、話してくれないことを悲しむ。

___女子が泣いている時は胸を貸し、抱きしめてやれ。

 祖父の教えが脳裏に過ぎり、両手が彼女の背中まで持ち上がるも・・・すぐにだらりと落ちる。

 お祖父ちゃん、僕は__。

 どうしたらいいか、わからない。