妖精譚

基本気まぐれ不定期でラノベなどの名言pickや解説、感想を投稿します

ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか 8巻 【重要文&名言集】

 

 

目次

 

 

1章(とある武神への恋歌)

『命、俺の娘になれ』

 そして、涙の溜まった瞳を見開く命に、タケミカヅチは笑いかけた。

『えっ・・・?』

『いつかお前に俺の恩恵をくれてやる。そうすれば、お前は俺と神血を分けた歴とした父子、家族__眷族(ファミリアだ)』

『かぞく・・・ファミリア』

 その響きは甘美なだけではなく、悲しみに暮れていた命の旨に温もりをあたえた。

 それは赤ん坊のように自分を持ち上げ、見上げてくるタケミカヅチの瞳に、己の子供に向けられる確かな慈しみがあったからだ。

『病は気から、そして気は体から。俺の持論だ。お前が寂しさなんて感じる暇がないくらい、俺が武術なり何なり教えてやる。だから安心しろ、命。そして覚悟しておけ』

 

 

 

「命。今のお前は、ヘスティアの眷族だ」

「・・・!」

 説明が必要ないほどに正しい指摘だった。今の所属派閥、今の仲間を差し置いて、もともとの仲間だけに現を抜かすなど道理に反する。 

 命は恩義に報いるためにベル達の【ファミリア】に加わったのだから。

(けれど、自分は___)

 それでもタケミカヅチの眷族であったことを忘れたくないと、命はうつむきながら思った。

「・・・命、俺の娘になれって言ったこと、覚えているか?」 

「!」

「改宗してもな、子供達に最初に分け与えられた神血は消えるわけじゃない。ヘスティアが『恩恵』を頼りに命の存在を知覚できるように、俺もお前の息吹を感じ取れる」

 

 

 

2章(パルゥムの求婚)

 少年がああまでひた向きに迷宮探索に励んでいるのは何か理由がある、目的があると、出会ったばかりの頃から薄々はさっしていた。

 しかし、それがあの【剣姫】に追いつきたいがためだったとは。

 少年の年齢を考えても好意を寄せる、あるいは憧れを抱く異性がいるのは何ら不思議ではないが・・・ミノタウロスから助けられたというベルとアイズの出会いまで聞いたリリは、その栗色の瞳を揺らした。

「ベ、ベル殿本人には、何もお教えしていないのですか?」 

「あの子は隠し事ができない。レアスキル云々なんて詰問されたらすぐに明るみになる。だったら、スキルそのものを知らさない方がいい。・・・それにヴァレン何某への想いなんちゃらだなんて、絶対に言いたくないっ」

「へ、ヘスティア様はっ、それでいいんですかっ?」 

 ヘスティアもまた神の慈愛を超えて、ベルを寵愛している筈だ。

「・・・ベル君が自分で決めたんだ、強くなりたいって。あんな姿を見たら、ボクには止めることなんてできない」

 子供の決意に水をさせない。

 

 

 

 何と浅ましいのだろう、と吐き気を覚える。

 何て嫌な奴なのだろう、と激しい自己嫌悪を抱く。

 ベルの周りにいる異性__ヘスティアやエイナ、シル、春姫のように自分は綺麗な存在じゃない。

 心が汚い。自分をよく見せようと、必死になっている。

 世間知らずで、子供で、そして純朴なベルにちっとも相応しくない。

(この苦しさは、結局、ただの__)

 そうだ。

 とどのつまり、リリは猛烈な劣等感を抱いているのだ。

 第一級冒険者アイズ・ヴァレンシュタイン。リリもこの目で見てきた。

 顔を真っ赤にするベルと淡々と言葉を交わす、女神にも劣らない美しい金髪金眼の少女を。

 美しく、強く、凛々しい。

 ベルだけではなく多くの冒険者の憧れの的。

 天地がひっくり返っても、リリでは決して敵わない相手。

 リリが苦しんでいるのはそれだ。  

 あの女剣士に何もかも太刀打ちできないという、劣等意識だ。

 高過ぎる高嶺の花を__高みを見上げ続けているベルの視界に入らない自分。

 彼の一番には決してなれない自分。

 その厳然たる事実に、リリは昨夜から苦しみ、絶望にも似た落胆を抱いているのだ。

 自分本位の嫉妬に苛まれ、振り回されるリリは、己の卑小さに失望した。

 

 

 

 小人族(パルゥム)の間で深く信仰されていた架空の女神。

『古代』の英雄達、精強かつ誇り高い小人族の騎士団、それが擬人化した存在だ。

 小人族はヒューマンや他の亜人と比べ、その可愛らしくも小さな外見も相まって、種族としての潜在能力は最も劣っていると言われている。事実、遥かな昔日から現代にかけて、小人族が世界に轟かせた武勇伝は圧倒的に少ない。

 そんな中、『古代』に戦場の槍として幾多もの偉烈を成し遂げた彼の騎士団は、小人族の最初で最後の栄光であり、誇りだった。一族の心の拠り所として疑神化されるほどに。

 僕も数多くの英雄譚の中で、彼等彼女等の活躍を目にしてきたほどだ。

__けれど、『古代』の節目、本物の神様達が降臨した『神時代』の到来により、『フィアナ』信仰は一気に廃れた。

 下界に降りてきた神様達の中に、小人族の崇拝してきた女神の姿は、なかったのである。

 心の拠り所を失った小人族は、止めを刺されたかのように加速度的に落ちぶれ、今日まで至っている・・・らしい。

「今も落ちぶれている小人族(パルゥム)には光が必要だ。女神(フィアナ)信仰に代わる、新たな一族の希望が」

「・・・そ、それって」

「考えている通りだ。僕は一族の再興のためにオラリオに来て、冒険者になった。名声を手に入れ、同族達の旗頭になるために」

 語られるフィンさんの野望、いや壮大な使命に僕は息を呑む。

 腐りかけている小人族(パルゥム)の状況を憂うこの人は、一族の復興に己の身を捧げることを決断したのだ。同族を奮起させるほどの名声と栄光を世界へ発信するために、この迷宮都市の門をくぐったのである。

 そしてこの人は第一級冒険者__都市最強の1角Lv.6に上り詰めて見せた。

 『世界の中心』とまで言われるこのオラリオの中で。

 今や他種族である僕達も、神様達でさえも、彼の名を知らない人はきっといない、

 世界中に伝わるフィンさんの勇名と偉業は、既に多くの小人族(パルゥム)の誇りになっている筈だ。

 その崇高な目的と、何より有言を実行してのける彼の不撓不屈に、僕は畏怖とも尊敬とも知れない感情で喉を震わせた。

 

 

 

「君を救うため怪我も顧みず、身を挺してアイズ達をあの場に導いた彼女の姿に・・・僕は感銘を受けた」

 これは心からの僕の思いだ、とフィンさんは自身の小さな胸に左手を当てた。

「間違っても強くないあの娘は、誰にも負けない『勇気』を示したんだ」

 言葉と同時に、その碧眼が細められる。

「伴侶が欲しいとは言ったけど、小人族(パルゥム)なら誰でもいいというわけじゃない。今、一族に必要なものは『勇気』・・・伴侶たる存在にも、僕は失われてしまった小人族(パルゥム)の武器を求める」

 人類の中で最も脆弱な種族と呼ばれる小人族(パルゥム)。

 身体能力はヒューマンにも劣り、エルフやドワーフのように『魔法』や力に優れているわけでもなければ、アマゾネスのような誇れる戦闘技術も持ち合わせておらず、獣人のように五感に秀でてもいない。

 どんな種族の者より体が小さい彼等の唯一の武器は__『勇気』だった。

 

「・・・僕はもうあの時から理屈を置いてきた。この身は、一族の再興のためだけに捧げる」

 

 

 他人との縁談を持ちかけられてしまう自分は少年の意識外。

 彼が自分に抱いているのは精々、家族愛だ。

 仲間として、【ファミリア】としての親愛だ。

 異性として認められていないのだ。

 瞳が揺れる。悔しくて情けなくて切なくて、涙がこぼれそうになる。

 沢山のもので溢れ出しそうになる胸がこちらの言うことを聞かなくなる。

「ベル様は、どう思うのですか・・・?」

「ぼ、僕は・・・」

「ベル様のそういう優柔不断なところっ、リリは大っ嫌いですっ!?」

 

 

 

__彼の求婚を受けた方がいいのではないか、と心の中のひねくれたリリが囁いてくる。

 少年への想いは叶わない、それはもうわかってしまっている。 

 ならば、目の前の一族の勇者を受け入れてしまってもいいような気がした。

 ベルの口から伝えられた『必ず不幸にはしない』という言葉は真実だろう。こうして本人を前にするだけで彼の誠実さ、そして器の大きさが感じられる。地位や財力という観点から見てもフィン・ディムナの伴侶になる者は必ず幸せになる筈だ。

 こんな縁談はもう二度とこない。1度切りの機会だ。ヘスティア達への断りもなく己の一存で派閥を脱退することはできないが、彼に見を委ねれば、恐らく、きっと、苦しまずに楽になれる。

「・・・一つ、聞かせてください」 

「どうして、リリを選んだのですか?」

ベル・クラネルから聞いていないかな?僕は、君の『勇気』に見惚れたんだ」  

「『勇気』なんて、他の同族だって持っている筈です。それこそ、リリより強い方が」

「そうかもしれないね。でも、強さと『勇気』は必ずしも同義じゃないり君は自分の弱さを知っていながら、困難に立ち向かえる意思の力を持っている。18階層での出来事も僕は覚えているよ。君は偉大な先祖(フィアナ)のように、他人のために身を挺することのできる素晴らしい同族だ」

 

 

 

「言っておくけど、ボクはサポーター君・・・リリルカ君が退団したいって望むなら、止めはしないぜ?」

「っ!?」

 胸の内側を見透かしたかのように神様はおっしゃった。

 主神である神様ならリリを引き止めてくれると心の奥底で縋る気持ちでいた僕を、咎めるように。

「一応、競争相手だって減ることになるし・・・」

「ベル君。君のその変な配慮は、サポーター君にしてみれば余計なお節介の筈だ。あの子はきっと言うと思うよ、自分の幸せは自分で決めるって」

「ぁ・・・」

「もしボクがサポーター君の立場だったら・・・君にそんな縁談を持ちかけられたら、ショックだなぁ」

「ベル君は、このまサポーター君がいなくなってしまってもいいのかい?」

「ぼ、僕は・・・」

「君はさ、もっと我儘になるべきだよ」

 

 

 

「・・・フィン様は、気になる異性の方はいらっしゃらないのですか?」

 「・・・僕をしたってくれる、とても面倒な娘はいるよ」

「とても手を焼かされるし、とても疲れるけど・・・彼女がいないとまたに物足りなく感じてしまう辺り、随分と毒されてしまっているのかな?」

「__けれど、人並みの幸せというものに僕は関心がない。いや、関心を持ってしまったら、ここまでの道のりが全て無駄になってしまう」

 フィンはそこで、表情をあらためた。

 あたかも誓を告げる騎士のように、美しい碧眼が湖面のごとき光を帯びる。

 全ては一族のために。

 己の身を捧げている彼の生き様に、同じ小人族(パルゥム)であるリリは心を打たれてしまった。打たれずにはいられなかった。

 自分には真似できない高尚な信念に、一族の献身に。

 

 

 

そしてリリの心は、そのフィンの生き様を前に、感化された。

 いや、思い出したのだ。

 少年への想いを。

(そうだ・・・)

 リリを助けてくれたのは一族の英雄フィン・ディムナでもなければ、神々でもない。

 ベルだ。

 沼で溺れ、見向きもされなかった自分を救い出してくれたのは、あの少年だ。

(そうです、リリは・・・)

 ありえないことだが、もしヘスティアがベルを見限っても。

 リリだけは彼を見捨てない。

 例え世界が少年に罪人の烙印を押したとしても、少年が孤独に追いやられたとしても、リリだけは少年の側にいる。彼を支え続ける。

 少年は驚くほど早く先に進んでいくけれど、それでも、リリは一生彼についていく。

 全てを許し、受け止め、抱いて、笑ってくれたあの日__リリはそう決めたのだ。

 

 

 

なんだ、と。

 リリは笑う。

 とどとつまり、自分もフィンと同じだ。ともすれば彼は自分の鏡でもあった。

 己を捧げる存在がある。

 そこではリリはあるいは幸せを手に入れられず、今日まで苦しんできたように色々な感情に悩まなれることにもなるのだろう。

 だが、もう決めたのだ。

 何が起ころうと、あの少年の側にいると。

 贖罪だけではなく、自分の想いも含め。

 リリは、彼を支え続けるのだ。

 一族を献身に捧げる、目の前の彼のように。

 

 

 

「関係、なかったんですね・・・」

「?」

「・・・ごめんなさい、フィン様」

「この縁談、お断りします」

「理由を聞いてもいいかな?」

「フィンさまが一族のために身を砕いているように、リリもあの人に・・・ベル様に身を捧げています。そう、決めてしまっているのです」

 貴方と自分は同じなのだとリリは話した。

 背負っているものの大きさは比べ物にならないが、それでも根本は一緒なのだと。

 見失っていたものを思い出させてくれたことへの感謝とともに説明すると、「なるほど」とフィンは頷いた、

ふぅ、やはり駄目だったか」

「脈がないことは薄々わかっていたよ。きっと無駄になるぞって、親指も・・・直感みたいなものも言っていた」

「それでは、どうして縁談を?」

「言っただろう?君の『勇気』に見惚れたって」

「あ・・・」

「僕の小人族(パルゥム)の心は、君の『勇気』に突き動かされたんだよ」

 声をかけずにいられなくなるくらいにはね?と。

 

「フィンさん!お願いですっ、 リリを連れていかないでください!」

 一度瞬きをしたフィンは、しかしその頭の切れですぐさま状況を理解したのか、リリを素早く一瞥する。

「残念だけど__僕はもう彼女からいい返事をもらったんだ、ベル・クラネル

「僕はまだっ、リリと一緒にいたいんです!離れたくないんです!!」

「二人とも合意したというのに、それに水を差すというのかい?」

「はいっ!」

「随分こだわっているようだけど、じゃあ、君にとって彼女は何なんだ?」

「【ファミリア】なんです、家族なんです!」

「それだけかい?足りないな」

「・・・僕と初めてパーティを組んでくれた、大切なっ、大切なパートナーなんです!!」

「彼女は僕がやっと見つけたお嫁さん候補だ。そう簡単には返せない。・・・それとも、力づくで奪っていくかい?この僕から」 

 あの【イシュタル・ファミリア】の巨女をも超えるLv.6の第一級冒険者に喉を鳴らすベルは、しかし退かなかった。

「いい覚悟だ、面白い・・・なら彼女を賭けて決闘といこう!」

 

 

 

3章(とある鍛冶神への恋歌)

 

「何だこれは、鈍か?」 

「俺のやり方だと?馬鹿め、頂の輪郭すら見えぬまま寿命が尽きるわ」

「・・・っ!?」

「上級鍛冶師(ハイスミス)になって、何か勘違いでもしているのか」

 彼女の言葉は、叩きつけられた現実とともにヴェルフの胸を穿った

 慢心していたつもりはない。だが心のどこかで抱いていた上級鍛冶師(ハイスミス)への達成感と自身に、知れず『酔い』を感じていたのも否定できない。

「この程度の武器を打つ者など腐るほどいる」

「己の適性を見誤るな、ヴェルフ・クロッゾ

 

 

 

「・・・作ってみたい、筈だったんだけどな」

__あるもの全てをそそぎ込まねば子供(われわれ)は至高の武器に至れん。

__お前が惚れ込んでいるあの女神の領域など、夢のまた夢だ。

 最上級鍛冶師(マスター・スミス)に知らしめられた自身の力量。

 鍛冶師の頂点に君臨する彼女をして、化物と呼ばせるヘファイストスの領域。

 目標が果てしない場所にあるのは知っていた、わかっていた。

 ただ今日、痛感させられた。己の至らなさと一緒に。

 所詮、一介の鍛冶師(スミス)に過ぎない自分が神に挑むなど夢物語なのか。荒唐無稽なのか。

 椿の言う通り、忌むべき己の血さえも使わなければ、触れることすらできないのか。

 魔剣鍛冶師としてでなければ__自分はヘファイストスのもとに辿り着けないのか。

「俺は・・・」

 

 

 

「今の俺は、『魔剣』を振りかざす野郎どもと何も変わらねぇ!!」

「っ・・・!?」

「これが本当に力か!?こんなものが、鍛冶師(おれたち)が生み出さなきゃいけないものなのか!?」

 片やLv.2の上級鍛冶師(ハイスミス)、片やLv.1の没落した鍛冶貴族。

 不条理とも言える己の力を拳と一緒に叩き込みながら、ヴェルフは胸の内をぶつけた。

「違うだろ、そうじゃないだろう!?」

「武器は使い手の半身だ!!苦楽をともにしてやれる、道を切り開いてやれる魂の片割れだ!!」

「そんな、ことがっ・・・」

「鍛冶師(おれたち)は矜持をもってっ、使い手(あいつら)に武器を届けなきゃいけない!!」

 

 

 

「残ってるだろう、あんた達には!?鎚を振るえる手が、鉄を掴める手が!!」

「・・・ッ!?」

「鎚と鉄、そして燃えたぎる情熱さえあれば、武器はどこでも打てる!帰属なんて、王国なんて糞喰らえだ!!」

「__鉄の声を聞け、鉄の響きに耳を貸せ、鎚に想いを乗せろ!!全部、あんた達が俺に教えた言葉だろう!?」

「鍛冶師の誇りはどこにいったぁ!?」

 

 

 

「お前の意思は硬過ぎる。それこそ、鉄のようにな」

「幼いお前に、『魔剣』を強要させたのを悩んでいた・・・そして今のお前を見て、はっきりと後悔した」 

「だが、その身に流れる血は一生お前について回る。一族の宿命(クロッゾの呪い)は、お前を『魔剣』の道へと引きずり込む」

「それでも、お前は信念を曲げないのか?」

 その言葉は、奇しくも椿が問い、責めてきた内容と合致していた。

 魔剣鍛冶師としての素質。血にまつわる力を用いるか否か。

 椿には何も言い返せなかった。己の無力感に打ちひしがれ、意志が揺らいでしまった。

 だが今は違う。

 父親と祖父と__『クロッゾ』の因縁と対面したことで、ねじ曲げる訳にはいかない信念を思い出した。

「曲げねえ!!」

「『魔剣』を超える武器を作ってみせる!!血筋なんてものを見返してやる!!俺は『クロッゾ』じゃない__俺は、俺だ!!」

 至高を目指す上で避けては通れない己の野望を、言い放つ。

 

 

 

「椿の言うことは間違ってはないないわ。有限の時間しか生きられない子供達が神々の領域に辿り着くためには、それこそ何もかも支払わないといけない」 

「ヴェルフには、ヴェルフの信念があるんでしょう?」  

「・・・はい」

「なら自分を疑っては駄目よ。中身が空っぽな鉄ほど、もろいものはないのだから」

「神々は、子供達の意思の力が不可能を覆すことを、いつだって期待している。英雄と呼ばれた子供達が絶望を超克していった、あの瞬間のように」

 

 

 

 最初はこの鍛冶神に辿り着いてみせるという野望、そして目標だった。彼女が生み出しす至高の武器に至って、いや越えてみせようと。

 なんてことはない、ヴェルフもベルと同じだ。

 畏敬が憧憬に、憧憬が思慕に移ろうのは早かった。まずはヘファイストスの武器に惚れ込み、そして武器を打つ彼女の神格に惹かれたのだ。

 恋と言うには甘くなく、愛と言うには畏まってない。

 もっと幼稚で、憧れを伴った、炎のように熱い何かだ。

 

 

 

「この下にはね、貴方がびっくりするほど醜い顔が広がってる」

「不思議でしょ、神なのに。私も散々思ったわ。天界では他の神に嫌厭されたし、笑われた」

「この眼帯の下を見て、笑ったり不気味がらなかったのは、ヘスティアくらい」

だからそこあの幼い女神とは今でも腐れ縁であり、無二の神友であるのだと、ヘファイストスはほおを緩ませながら打ち明ける。

「あの眷族達も怯えた。だから、私なんかは止めておきなさい」

「ちょ、ちょっとっ」

「拍子抜けですね、ヘファイストス様。この程度で俺を遠ざけられると思っていたんですか?」

「貴方に鍛えられた鉄(俺)の熱は、こんなものじゃ冷めやしない」

「言ってくれるじゃない」

「これで相こです」

「もう。鍛冶師ってみんな偏屈で、負けず嫌いなんだから」

 

 

4章(愛しのボディーガード)

 このオラリオの地の下に広がる、迷宮の奥で。

 きっとこの中にも、本気で冒険者を愛して、そして枕を涙に濡らした者もいるだろう。エイナも担当していた冒険者が亡骸となってダンジョンから帰ってきた時は、独りでに膝が崩れ落ちた経験がある。隣を窺うと、ミイシャでさえその元気の鳴りをひそめさせていた。

 冒険者は、明日にでもふといなくなってしまうかもしれない危うい存在だ。

 故に誰も彼らに深入りしない。

 表面上は笑顔と優しい言葉で取り繕っても、受付嬢達の本質は、どこまでいっても事務的だった。

「チュール、今更あんたのやり方に口を挟むつもりはないけど・・・八方美人なんかしてると、後悔するし、偉いことにもなるわよ」

「・・・はい」

 そんな受付嬢達の中で、エイナだけがあえて冒険者達との距離を埋めている。

 冒険者の希望に快く応え、入念な打ち合わせを行い、自発的に座学を開く。

 きっといなくなると諦観するのではなく、死なせたくないという一心で。

 身が裂かれるような思いを何度も味わったその上で、エイナは冒険者達に歩み寄っていた。

 

5章(街娘の秘密)

 わざわざ廃墟を歩くような真似も、多分、膝枕をさせてきたことだって、『恥ずかしい』というこの人の照れ隠しだったのだ。

 澄ますか、わざとふざけないと耐えられないくらいには、ずっと羞恥を抱えていた。

「・・・」

 年上だと思っていたこの人の、女の子のような仕草を見て、僕は不思議な気分だった。

 抜け目がなくて、ちょっぴりしたたかで、物腰丁寧なこの人の印象が。

 新しい一面を多く目にしたことで、また変わっていく。

 ともすれば、動悸を覚える。

 いじらしく恥ずかしがるこの人の姿に、ボクも釣られて赤面していた。

「・・・良かったかも」

「えっ?」

「やっぱり、貴方に見つけてもらえて・・・良かったかも」

__甘い思い出ができたから、と。

 シルさんはそんな小っ恥ずかしい台詞を、ためらいもなく言った。

 

 

6章(とある女神の愛歌)

「ミアハ様達は・・・神様達は、子供達のことを好きになってしまいますか?その、恋人とか、伴侶として・・・」

「なる、であろうな。むしろ我々は、子供達にこそ惹かれやすい」

「そうだなぁ、わかりやすい例だけどアポロンなんかを思い出してくれよ、ベル君?あいつの愛は見境がなかっただろう?」 

 アポロン様・・・僕達が戦争遊戯(ウォーゲーム)で破った男神様。

   【非愛(ファルス)】とも呼ばれ、女神様にだって求婚した、恋多き神様。

アポロンは見初めてしまえば、広く、深く、子供達を愛し抜く」

「ミアハの言う通り、あいつは愛でて愛でて愛でて・・・そして子が亡くなった時は、オレ達から言わせればオーバーなほどに泣くだろう」

ミアハ様とヘルメス様の言葉に、僕はうろたえてしまう。

「お、おーばー・・・」 

「ああ。そしてひたすら嘆く。子の遺品が残ったなら、それを肌身離さず身に付けるだろうし、子を埋めた墓から木が生まれれば、それを聖木として扱うだろうね」  

「さ、流石にそこまでは・・・」

「するさ」 

疑ってしまう僕を、ヘルメス様は笑って断言した。

「逆にタケミカヅチなどは、父としての姿勢を貫くであろう。例えその女子に惹かれたとしても、求愛されたとしても、はっきり線引きする筈だ。女としての幸せを与えてやれぬしな」

ヘファイストスなんかはどうかなぁ。職人の成長を見守る、親方気分が抜けないかもきれない。神としての微笑ましさと女のしての感情、半々くらいで子供に接するんじゃないかな」

 ミアハ様が武神様のことを語り、ヘルメス様が鍛冶神様について笑う。

 下界の者達との間では子をなせないことや、父であることを望む義理堅さ、あるいは職人としての性など、神様達の個性や価値観からくる神愛の種類を教えてくれた。

「寵愛、ただの気紛れ、子を見る親の気持ち・・・子供に向ける愛の形はそれぞれだ。君達との触れ合いを久遠の思い出として抱き続ける神もいれば、あっさり忘れるやつもいる__逆に、天に昇る魂を追いかけてまで囲う美神なんかもいる筈さ」

「我々の愛の形はある意味、歪んでいるのだろう。ベル達からすれば、恐らくな」

「そ、そんなっ」 

 笑いかけてくるミアハ様に、僕は慌てた。

 慌てたけれど、完璧に否定することができなかった。

「・・・ミアハ様と、ヘルメス様は、どうしますか?」

「そうであるな・・・私もタケミカヅチと一緒かもしれん。愛してしまったからこそ、その者が伴侶を見つけ、家庭を築き、天界へ昇っていくその時まで・・・側で見守り続けてやりたいと思う。神としてな」

「おいおい、そんな難しく考えるなよ、ミアハもタケミカヅチも!?オレだったら好きになった女の子はみんな侍らせてしまうよ!なぁベル君、ハーレムは男の浪漫だろ!?」

ミアハ様が青空を見上げながら言い、ヘルメス様はどこまで本気かわからない能天気な笑声を上げる。「そなたはまたそんなことを言って・・・」とミアハ様が眉を下げて笑う中、同意を求められる僕も、つい苦笑をこぼしてしまった。

「__ベル。神々(われわれ)の愛は一瞬なのだ」

「悠久の時を生きてきたから我々だからこそ、恋に落ち、愛を抱くのは一瞬だ。多くの神々がそなた達、子供に一目惚れする」

「同時に、その時間はオレ達にとって、とても短い。君達にとっては生涯と言える時間であってもね」

 目を見開く僕に、ミアハ様とヘルメス様は諭すように声を繋げる。

 永遠を生きる神様達にとって、僕達との時間は・・・たった一瞬に過ぎないのだと。

 それは悲しいことである筈なのに、ミアハ様は穏やかな声で語った。

「だから、ではないが・・・神の求愛には向き合ってやってくれ」 

「ベルには、懸想している相手がいるのだろう?」 

「ぼ、僕は・・・」  

「畏まり、ひれ伏して、神の我儘に振り回される必要はどこにもない。自分の気持ちに素直になっていればいい」

 動揺する僕にミアハ様は、ぽん、と。

 その手を、僕の頭に置いた。

「ただ__誠実に向き合う。それだけでいいのだ」

「きっと神の多くは、それだけで納得してくれるであろう」

「・・・」

 だから神々の愛から逃げないでくれ、と。

 断っていい、受け入れても構わない、ただ恐れないでくれ、とミアハ様は全てを見透かしている瞳でおっしゃった。

 

 

 

「ブリギッド様、お許しください・・・守れなかった私を」

 持ち上がる震える右手。天に伸ばすかのように、ほんの僅かに浮かぶ。

 自責の念に縛られた弱々しい父親の姿を見ていられないのか、唇を噛み締めながら息子達が目を逸らした。アイズさんも僕も、うつむいてしまう。

 そして、ヘスティア様は。

 ご自身の両手で、ゆっくりとカームさんの右手を包み込んだ。

「ありがとう、カーム。私を愛してくれて」

 次の瞬間、女神様の声音が変わった。

「____」

 カームさんの目が見開かれた。

 僕も、アイズさんも、部屋にいる全ての人達も瞠目した。

 ヘスティア様のものではない口調、言葉、息づかい。

 まるで別の誰かが乗り移ったかのように、一人の子供に慈愛の眼差しと情愛の声を届ける。

 ご自身の唇を通して、知己の女神様が言うであろう、彼女の言葉を紡いだ。

「今も・・・これからもずっと、貴方を愛している」

 眠りにつく子供に送られる、神様の子守唄。

 女神様の、愛の詩。

カームさんの瞳から、涙がこぼれ落ちた。

「あぁ・・・!」

 虚空の先に尊い何かを見つけたように、唇を震わせた。

「ブリギッド様、私もっ・・・俺もっ」

 愛しています。

 それが、カームさんの最後の言葉だった。

 ヘスティア様が包み込んでいる手から力が失われる。

 彼に育てられた義子達は涙を床に落とし、娘は両手で覆い、床に座り込んだ。

 僕も涙を流す。

 止まらない涙を流す。

 視界が潤んで、旅立っていったあの人の顔がよく見えない。必死に腕で顔を拭う。

 アイズさんも、目を伏せた。

 ヘスティア様はぎゅっと手を握り、そっと胸の上に置く。

 女神様に愛を誓ったカームさんの顔は、僕が今まで見てきた誰よりも、何よりも。

 安らかなものだった。

 

 

 

「神様・・・」

「なんだい?」 

 「カームさんは、女神様(ブリギッド)に会えるんでしょうか?」

 下界を離れ、天界に還る『魂』の行方。

 「・・・難しい、かもしれない。フレイヤ達みたいな特別な神はいるけど、子供達の『魂』の管理は本来、死なんかを司る神達の領分なんだ。誰もが望んだ『魂』を神の審判にかけられるわけじゃない」

 そして天へ還った『魂』は真っ白な状態に戻され__何もかも忘れ、生まれ変わることでこの下界に再び戻ってくる。  

「__やっぱり神(ボク)達と愛を誓い合うべきじゃない。そんなことを考えているのかい?」

「!」 

「館で言い合った後、君はなんて融通が利かないんだって思っていたけど・・・違ったんだね」

「ボクとしたことが忘れていたよ。君は、自分が感じたことのある痛みを気付いてあげられる・・・他の誰かに同じ痛みを与えてしまうことも、怖がっていたんだね」

 全て・・・見抜かれてしまっている。

「君が引きずっているのは、亡くなったお祖父さんのことかい?」

 その通りだ。

 祖父を失って、一人になって、温もりが消えて。

 あの時の痛みを覚えている。あの時の空っぽになってしまった胸の痛みを覚えている。

 置いていかれる人の痛みを、知っている。

 カームさんがそうだった。神様に救われる最後の時まで、あの人はずっと苦しんでいた。

 __でも子供達には、必ず終わりが来る。

 死を迎え、生まれ変わることで、僕達はあの痛みを忘れることができる。

 __でも神様達は?

 永遠を生きる神様達は、忘れることはできない。その傷は神様達の胸に癒えない傷として、きっと刻まれることになる。

 友人から家族、家族から恋人、そして恋人から伴侶。絆を深めれば深めるほど、特別になればなるほど、失った時の傷跡は深くなり__あのどうしようもない喪失感となって、神様達を苛むのではないだろうか。 

 神様達は子供達と一緒に年を取ることができない。

 神様は必ず取り残される。

 だから、愛を誓うのは、神様達を苦しめるだけではないのだろうか。

 家族を失った自分以上の悲しみが__神様達には約束されてしまうのではないか?

 それが、怖い、苦しい、悲しい。

 人間同士とは違う、永遠を生きる神様だからこそ味わう虚しさ。

『__ベル。神々の愛は一瞬なのだ』

 ミアハ様はおっしゃった。ヘルメス様もおっしゃっていた。

 神様達の愛は一瞬だ。一瞬の愛を終えた後、永遠の喪失感を抱えていかなければならない。

 一瞬の代償が__永遠の悲しみ。

 それはとても、怖いことだ。

 祖父を失ったときの悲しみを、もしかしたらあれ以上の喪失感を、何百年何千年、何万年も抱え続けなくてはならないなんて。

 それはとても、恐ろしいことだ。

「・・・ベル君。そんなに深く考えないでおくれ。ボク達は__」

 できない。

 頭を振る。

 神様の言葉を遮って、駄々っ子のように、これだけは言うことを聞こうとしない。

 永遠なんて尺度は僕にはわからない。文字通り想像を絶する。

 でもきっと僕だったら__耐えられない。

 自分が味わったあれ以上の喪失感を背負い続けていくなんて。

 自分が味わったあれ以上の喪失感を、神様に与えてしまうなんて。

 それだったら、愛なんてものは誓わない方がいい。

 精霊と英雄の恋歌と同じ。神様達と子供達の愛歌は非愛に終わる。

 神と子は、同じ時を生きられない。

「・・・なぁベル君。ボク達と君達は、同じ時を生きていけないかもしれない」 

僕が顔を上げようとしない中、神様はそっと左手を伸ばし__僕の右手に重ねた。

「でも、ボクはずっと君の側にいるよ」 

「えっ?」 

「ボクは君がどんなに年を取っても、よぼよぼのおじいさんになっても、ずっと一緒にいるよ。離したりするもんか」

「例え死が、ボク達を一度は引き離したとしても・・・ボクは、必ず君に会いにいくよ」

「何百年、何千年、何万年かかったとしても、生まれ変わった君に・・・ベル君じゃなくなった君に、会いにいくよ」  

「____」 

「そして言うんだ、ボクの眷属(ファミリア)にならないか、って」 

 最初に出会った時の光景と、今の神様が、ほっくり重なった。

「___ぁ」

 涙が出そうになった。

 歯を食い縛る。

 体を震わせながら顔を伏せて、漏れ出そうになる何かを必死に押さえ込もうとする。

 神様は、そんな僕に両手を伸ばし、優しく抱き締めた。

「下界だろうと天界だろうと関係ない。ブリギッドとカーム君と一緒さ。君にまた、出会いにいくんだ」

「ボクだけじゃない。他の神も、君達との絆を永遠にすることができる」

「だってボク達は、永遠を生きることのできる神様なんだぜ?」

「だからベル君、ボク達との愛を怖がらないでくれ」

__神々の愛から逃げないでくれ。

 断っていい、受け入れても構わない、ただ恐れないでくれ__ミアハ様もおっしゃっていた言葉。

 涙腺が壊れる。涙が止まらない。恐れていた何かが心の中で溶かされていく。

 家族、恋人、伴侶、愛。この気持ちが何なのかわからない。

 神様へのこの想いが一体何なのか、全然わからない。

 わからないけど、僕は、その思いを口にしてしまった。

「神様っ・・・僕はずっと、神様と一緒にいたいですっ・・・!」

「うん・・」

「ずっと一緒にいるよ、ベル君」